戦争-制作過程-
第五回モノクローム展 出品作品(107×160cm/2013年11月制作)

戦争
これは、戦争をテーマにした2つ目の作品です。
1つ目は2011年に創ってます。
戦争を知らない私ですが、
「もうこんな悲しい思いをする人をつくってはいけない、戦争はもうおしまいです」
そんな願いを込めて創った作品です。
今回は出征旗をモチーフに布で作ってみました。


まずは、厚めのデニム生地を購入。
国旗と同じく2:3の縦横比に切って、四辺を手縫いします。
結構分厚いですし、大きいので針を持つ手が痛みました。

戦争
そして、水通しをして天日干し。
戦争
ここで、失敗したのは順番が逆だったということ。
水洗いした時の縮みを事前に防ぐための水通し。
寸法測って縫ってから水通ししたのでは、寸法が狂ってしまうのでした....
お裁縫が得意な方からすれば当たり前なのかもしれませんが、まったく素人の私はそんなことは全然知りません。
布が乾いた後どうも縦横比がおかしいなぁ、と測ってみると、横だけ10cmも縮んでいるではないですかっ!
しかし、これに気がついたのは2枚目を作った後でした.....
1枚目は計測ミスだと早とちりし、すぐに2枚目を購入しにいってまた手縫いしてから水通しをするという阿呆なことをしてしまった。
結局3枚目は水通しから手縫いをして無事に土台ができ上がりました。
ここまでで一苦労です。

さて、土台が仕上がったらまずは出征旗様の背景書きです。
当時よく書かれていた言葉を選び書きました。
また、署名の代わりに当時の方々の遺書の一節も書かせていただきました。
戦争
戦争
戦争
これを書くのはとても苦しくて悲しかった。
泣きながら書いてました。
でも、これは事実なのですね。
これを書いて死んでいった人たちは本当にいるのです。
どんな気持ちでこの文章を書いていたのでしょうか。
胸が締め付けられます。
もう人々にこんな思いをさせてはいけない。
戦争はもうおしまいです。
そんな気持ちです。

そして、地ができたあと、上から「戦争」と書きました。
戦争
失敗は許されませんのでかなり緊張しました。
なんかちょっとバランスが悪くなっちゃいましたけど、戦争の悲惨さは伝わるかなと思って良しとしました。

次の行程は、千人針です。
千人針ってご存知ですか?

<Wikipediaより> 1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう。特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。同様の理由から、ただ単に縫い目を並べるのではなく、虎の絵を刺繍で描いた例も多く見られる。また、穴の開いていない五銭硬貨や十銭硬貨を縫いこむことも行われた。これは「五銭」は「死線(しせん=四銭)」を越え、「十銭」は「苦戦(くせん=九銭)」を越えるという事に由来している。他に、神社などの護符を縫いこんだ例もある。できあがった千人針を、兵士は銃弾よけのお守りとして腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりした。戦場では洗濯することが困難なため、不潔なことがよくあったが、そのまま大切に身に付け続ける兵士も多かった。

上記のようなものなのですが、これも大切な人への思いが痛いくらいに詰まっていると感じましたので、本来の形状とは異なりますが旗の左下に縫い付けることにしました。
戦争
戦争
ちゃんと1000針結び目を縫いました。
それと、説明文では穴の開いていない五銭と十銭を使用したとなっていますが、実物は穴が開いているものも多かったので今回は穴の開いているものを縫い付けました。
これも結構大変でしたけど、自分で縫うことができるからまだ楽ですね。
当時の方は(寅年の方を除いて)一人一針しか縫えないってことは、仕上げるまでに相当な人数が必要だった訳です。
これを赤紙が来てから出征までの3〜4日で完成させなければいけなかったという記録もありますので、そうとう大変なことだったのではないでしょうか。
頭がさがります。
でも、もうこういうことをしなくてはならない世の中にしてはいけません。
さて、これで国旗は完成です。

ここからは、この旗に70年の「時」を刻んでいきます。
これが予想外に難しかった。
まずは、痛々しいですけれど血の跡を付けていきます。
戦争
食紅で血のりを作り、各所に散らしていきます。
この後、全体に古い布の色にしていくのですが、自然な色がでるようにコーヒーで染めてみました。
がっ!!食紅って水で落ちちゃうのね.....
それに、墨も落ちる落ちる。
全体的に墨とコーヒーで黒茶色になり、血痕も消えてしまった。
まぁ、仕方がないので、次は濃いコーヒーで血痕付けを試みる。
戦争
程々に洗えばこの痕は残ったのですが、コーヒーの臭いがキツすぎてボツ。
臭いが消えるようにしっかり洗ったら、痕も消えてしまいました。
あんまりやりたくなかったのですが、仕方がないので顔彩で血痕を作ってみました。
戦争
戦争
戦争
そこそこ、いい感じに仕上がったので、これで染めはおしまいにしました。
最後に金属のブラシで表面をこすり、部分的に布を引き裂いて布の風化作業を終了しました。
しかし、雨が多くてなかなか布が乾かず、天気に泣かされたなぁ。
ところで、この布、古びて汚らしく見えますけど、何回も洗っては干したので太陽のにおいはするし、ほんのりコーヒーも香ってとっても気持ちがいいんですよ。
ちなみに裏側はこんな感じ。
戦争
なんか、裏の方が恐ろしいですね。

そして、旗作りと平行して額も自分で作りました。
イメージは木でザックリ作った感じ。
この作品には、キレイな額は似合わないと思ったんです。
まずは、ホームセンターにベニヤ板を買いにGO!
車に積めなかったので配達してもらったら、思いのほか大きくて家族から顰蹙を買ってしまった....
しかも、階段を通らず自室へ運べなかったので仕方なく和室へ。
戦争
簡単な造りの額でしたが慣れていない私には結構作るのが難しくて、途中でペンキがなくなったり、枠の木材が割れていたりとホームセンターを行ったり来たり。
それでもなんとか完成。
戦争
ペンキの塗り方が汚い....
でもこの作品にはこれで合ってるかな。


そして、搬入日の朝ギリギリに旗と額を釘で打ち付けて完成!
戦争
実はこの作品は、前回出品したことがある損保ジャパン美術賞の公募に出品するために創ったものでした。
当初は、旗の中央上部に平和の象徴でもある白い折鶴を、日本国旗をイメージして赤い糸で縫い付けていました。
戦争

さぁ、レンタカーを借りて、完成作品を持っていざ搬入場所へ!
戦争
しかし、これ重い.....
額が重いんですね。
18kgくらいあります。
大きいからまた持ちにくい。
一人でどうやって搬入場所に運び入れようか?と不安になりながらも、えぇい!とりあえず行ってしまえば何とかなる!
と、とりあえず向かってみると、搬入場所がヤマト運輸さんだったため、そこは荷物運びのプロ、ひょいひょいと軽々運んでくださり搬入完了。
助かりました。


さてさて、その後の審査結果は
じゃじゃーん!
戦争
せんがーい!
あははは〜
選外です(笑)
ま、そんなこともある。
またえっちらおっちら作品を引き取って「戦争」さん、我が家の和室にご帰宅です。


残念でしたけれど、めげてはいられません。
この「戦争」に日の目を見せてやらねば!と書道の先生に書道教室の作品展「モノクローム展」にこの「戦争」を出品させて欲しいと頼み込みました。
そして、念願かなって私がブースデザインを担当する予定でした「怒」ブースに出品させてもらえることになりました!
(「怒」ブースデザインの模様はこちらの記事に書いてあります)


いよいよ「戦争」が展示されるときがきました。
戦争
実際のライティングにしてみるとこんな感じ。
戦争
恐ろしい、いい雰囲気がでています。
なぜこんなに赤黒いかというと、
戦争
怒りエネルギーが地から湧き出るイメージのこんなオブジェがある場所に、
戦争
こんな感じで飾られていたからです。
飾られていたといっても、自分で飾ったのですけれどもね....
会期中はたくさんの方に観ていただけたようでよかったです。
なかには、戦争経験者の方もいらっしゃって、当時を振り返り戦争の悲惨さや理不尽さを語られたそうです。
戦争を知らない私でさえこんな悲痛な思いになるというのに、経験された方の心中はとても計り知ることはできません。

私の祖母もそうですが、戦争経験者の方がだんだんいなくなってきて、悲惨だった戦争が忘れ去られようとしております。
かつて日本にはあの悲惨な戦争があった、そのことを忘れないでもう二度と戦争は起こしてはいけない、そう願うのです。


そして、会期は終わり撤収。
戦争
「戦争」ぽつーん。


撤収後、持ち帰った作品は和室へは入れず、車の中で旗を額から剥がし額はそのまま粗大ゴミへ....
ちょっともったいなかったけれど置き場所も使い様もなかったので仕方が無いです。
そして、旗をしまう前の哀愁漂うショット。
旗を背負ってしゃがんでます。
戦争
私の2013年の「戦争」は終わりました。
観にきてくださった方々、ご協力してくださった方々、ありがとうございました。